常識

硬いタイトルだけど辞書を引くと(weblio)
「ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。 」
常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。」


普段、常識がある人と言うと、社会的ルールを守っていて、一般的な知識を持っている人や組織やグループでの決まりごと、仲間同士の共有知識を持っている人の事を指すと思う。


日本人だからなのか、人がそうだからなのか、みんなと一緒であれば安心感を持ってしまうので、このなんだかよくわからないもやっとした常識の中で動いてしまう。


とはいえ、 よくわからないもやっとした常識を一つ一つ分解して理解して行くのも大変だし、あまりにKYで、TPOを逸脱していると、それはそれで困る。


ただ僕たちみたいな小さな会社や、若い世代が世の中に認知してもらうには、どこか常識を逸脱していて、どこかKYで、どこか変態で、どこか変わってると言われないと認知してもらえない。


そのほかと違う逸脱した部分をどう出すかは、ポジショニングやブランド化など、僕にはあまり知識のない分野なので、そこは他の方に譲って、常識を逸脱して、極端に尖った部分を持ちながら、人としての深みを持ち、周りから評価されている人はどうしてかな?っと思っていたけど、とても腹に落ちた言葉があった。
論語と算盤 渋沢栄一 から引用 
常識とはなにか『智』『情』『意』の三者が権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だと考える。 
http://www.stella-exp.jp/blog/976.html

常識という言葉のとらえ方を、辞書が言う知識(智)を持つという側面からだけで見るのではなく、情や意志とのバランスと保つ事が、常識であるととらえると、評価されてる人を良く理解できた。

またこの言葉を知ってからは、他人を見る時も少し違った意識で見ることが出来るようになった。
確かに常識がある人だけど、何か物足りなさを感じる人は、どうしても「意」を持ってないことが多く、常識を逸脱している人で、面白みはあるけど、どうしても軽さを感じてしまう人は、「智」や「情」にかけている部分があるなっと思う。

今まで人を育ててきた経験から言えることは、(たかが10年程の経験からだけど)「意」のある人に「智」や「情」をつけて行く事はそんなに難しくないけど、
「智」や「情」があっても「意」のない人に「意」持ってもらうことは難しいと思う。

「意」がない人を引っ張り続ける事も出来るけど、引っ張りを辞めた時にその人自身に「意」がなければ、簡単に路頭に迷ってしまう。

なので、常識=『智』『情』『意』のバランスではあるが、その中でも「意」が重要なのではないかと思う。
そして「出過ぎた杭は打てない」というけど、出過ぎた杭がバランス悪く立っていれば、打たれないけどそのうち倒れる。
まずは出過ぎた杭になることを目指して、その後『智』『情』『意』のバランスを考え、杭の底辺を広げて行くべきだと思う。


とおもいつつ昨日出過ぎようと思ったけどうまくいかず、悶々としている時に、ある人に相談した。
相談して一気に冷静になれて、色々アイディアが出てきた。
やっぱり一人では悶々もしてしまうけど、経験者は面白いアイディア持ってる。
自身に過ぎたる物があるとしたら、佐和山の城はないですが、この相談出来る仲間でしょうか。(クサ